長尾街道C 2021年2月27日 長尾街道を@ABCに分けてみました。そのうち@Bは踏破したので、今日はCに挑戦することにしました。でもスタートは自宅からで、庚申街道・古市街道・長尾街道Cと連続するわけです。思いのほか寒かったのですが、綿の半袖シャツを余分に着たおかげで助かりました。なお、石川堤防の手前でストップしました。本来なら国分に渡り、教育大前から田尻峠を越えて葛城市の長尾神社まで進まなければ終了とはなりませんが、地図で確認してお終いとします。(12km)+おまけ(4km)で計16kmは久しぶりのことです。 ここが長尾街道Bから古市街道に合流したところに違いないと思います。(道標が証です) 古市街道から分かれて長尾街道Cに曲がります。手前で一度間違えましたが、修正しました。 右:ふじい寺、かうや、よしの、はせミち 左:なら、かふり山ミち 突然、道がなくなり、困りました。歩道橋を渡って、無事に街道に繋がりました。 「急がば回れ」なり。 ゆるやかにカーブする道は、いかにも街道ぽい。このあと、上り道が続きました。 東高野街道にぶつかりました。左の「国府(こう)遺跡0.5km」に向かいます。先日キャンセルした遺跡が気になっていました。 右を見ると、道明寺に至る踏切と東高野街道が見えます。いずれ、ここに戻ってきます。 道なりに(先日訪れた)国府八幡神社までやって来て、さらに約0.3km歩いたところで、とある神社にたどりついたのですが、遺跡が見当たらず。地図はありましたが、上手く読み取ることができませんでした。ついに、犬の散歩に付き添っていた方に遺跡の場所を尋ねました。真っすぐ東へ進むことを教わりました。 大和川と石川の合流地点に近い台地上に遺跡があります。 石器時代□□地とありますが、旧石器時代にして欲しいと思いました。 明治・大正・昭和と大規模な発掘調査が行われています。これは大正時代の調査のあとに建てられたものでしょう。 旧石器時代から縄文、弥生時代まで続いた大阪府を代表する遺跡なり。現地に資料館とか、博物館がないのが残念ですが、たいていはそんなものでしょう。 関西大学博物館が多くの資料を保管しているようです。 義侠熊田氏之碑? 調べてみると、河陽鉄道(現在の近鉄道明寺線と長野線の一部)の土盛りの仕事を請け負った熊田氏が、困っている小作農の人たちを救うためにその仕事をあっせんしたようです。そこで7年近く働いた人たちが感謝の気持ちを伝えるために碑を建てたということを知ることができました。 元の場所に戻って長尾街道の続きを歩きました。正面に石川の堤防が見えたところでストップしました。 近鉄電車の線路を潜って道明寺駅に向かおうとしましたが、単純な道ではなさそうだったので断念し、西にある土師ノ里駅から帰ることにしました。 |